私の父親、母親、そして妹に。
彼らが私に対して“行った”言動に付随する「責任」を。
私の祖母、MCK叔母、AKK叔母、MRK叔母に。
彼女らが私に対して“行った”言動と、それに付随する「責任」を。
昨夜、確かにお返ししました。私が「恨み」としてずっと持っていたから、
6年間もの間、私が7人分も持っていたから、
“彼ら”は自分の「生みの親」の元に戻れずにいた・・・。
でも、昨夜、ようやく私が“彼ら”を手放す事が出来たから、
彼らは“戻るべき人の元”へ、ようやく戻れる。
「生みの親」の元へ、「責任」という“本来の姿”なって、やっと戻る事が出来る・・・。
こんなにも時間がかかってしまって、ごめんね。
でも、私も、昨日の夜は、すごくすごく頑張ったから!
きっと、これまでの人生で、一番頑張ったと想うから、どうか私を許して下さい・・・。
私が、父に母に妹に、祖母に叔母たちに“返したもの”は
「因果応報」という法則に則(のっと)って、彼らの元に戻ってゆきます。
私が手放し、彼らに返した時点で、彼らの私への言動は、
彼ら自身の「責任」へと姿を変え・・・いえ、なるべき姿へと形を変えただけなのですが、
とにかく、彼ら各々の「責任」となって、彼らの元へと戻ってゆきました。
「因果応報」の法則に則った上での「責任」というものに姿を変えた訳ですから、
ここが
“最重要ポイント”となります。 神様は甘くはないみたいですね。
私から「責任」を返却された人々は、
本来、私と1対1の対話を繰り返し重ねていくことで、
「責任」を引き受けてゆくことが可能になります。
しかし私も相手もその様な事をする気は全くないので、己の「責任」と向き合う事は困難です。
とはいえ、どうにも不可能な事・・・という訳でもありません。
彼らが自分自身の内側で、私と対話をしてゆけば良いのです。
ただ、どういう形であれ、「私との対話」抜きに、彼らは自分自身の責任の克服は不可能です。
加えて「私との対話」の後に、「私に対してある言動を行った自分自身」との出会い・対話も
不可欠になります。
これらは繰り返し行われなければ意味を成しません。
何故私との対話が必要なのか・・・。
それは、私との間で起こった出来事が原因になっているからです。
しかし、祖母や叔母たちは、私から「責任」を返されたことすら知りません。
普通、殆どの人々が、この様な事を知り得ません。
私は昨夜、7人の名前を1人づつ呼び、こう言いました。
「いままでお預かりしていたものを、いま、お返しします。」
すると、以下の様なイメージが浮かんできました。
7つの黒く澱んだ玉が、方々へ飛び散って行きました。
そして白い地面の上にコロコロと転がってゆき、やがて止まりました。
・・・と思ったら、下にゆっくりと転がり落ちてゆき始めました。
7つの雪山を上から下へとサーッと一通り見ましたが、面白かったです。
斜面が急な所もあれば、非常になだらかな所もある。
かと思えば、まるで断崖絶壁の様な雪山もありました。
でも、(全ての山が)下に向かっている道が付いている事には代わりがなく。
地面には、7人各々がいました。
そして雪玉は地面に着く場所に、人が立っていました。
まず、必ずと言っていいほど、人と雪玉がぶつかる仕組みになっていました。
黒い玉はどうやら「責任」の様でした。 それが雪だるま式に転がり落ちてくる・・・。
「責任」を自分で解決することが出来た場合は、雪玉は消える仕組みになっている様でした。
解決出来なければ? 大きな雪玉がぶつかってくる。
仕組みとしては、それだけの実にシンプルなものの様でした。
人間は、関わりを持っている他人(ひと)の数と等しく、「山」を持つ存在である。
そして“己自身の山”をも持っている。 この山が、人生で最も高くそびえ立つ。
誰もが幾重もの「山」に囲まれ、そして、訳が分からないまま、
「責任」という名の“雪玉”に幾度も体当たりされ、或いは押しつぶされ・・・。
だが人は、何故己が身に災厄を受けたか知らず。
傷ついた体と心を引きずり、また歩み始める。
「理」を知らぬが故という、ただそれだけで、この世は、人生は、生き地獄と化す。
しかし人々は、己が、地獄を生きているとは知らず。 延々と地獄が続くことを知らず。
誰も何も知らぬが故に。 誰も何も教えてはくれぬが故に。
人々はかく混乱の最中を、ただただ盲目に歩いているかの如く。
数ある“雪玉”でも最たるものは、己が山より落ちてきたものなり。
私も年明け早々、雪玉をくらっていると想います、おそらく。
いや、実に痛かった。
「責任」というのは決して軽くはないと、思い出し、実感し直しています。
私が“トップバッター”だったのでしょうか、そんな気がしないでもありません。
他の7人の方々も、自分のしたことの「責任」を引き受ける時が来たという事でしょう。
それだけの事です。
もう、私には関係のない事です。
「可哀想」だとか想っていてはダメ・・・なんだと想います。
その人が「引き受ける“べき”もの」なんだから、頑張って引き受けろ、と。
周囲はそのくらいの態度で良いと私は想うのですが。
少し離れたところから“見守る”ぐらいが調度良いのではないでしょうか。
さぁ、私はまずはゆっくり“休養”出来るように頑張らないと!
私は“自分がすべきこと”をするべき・・・でしょう!
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